スタッフの一日

茨木のり子:自分の感受性くらい2019年09月07日

こんにちは!

阿倍野事業所 田中です。

今季のお気に入りドラマは「凪のお暇(いとま)」です。のんびりとした雰囲気が心地よいです。「空気は読むものじゃなくて、吸って吐くものだ!」というセリフもいいですね。

 

 ところで、忙しくて時間に追われることが続いたり、いろいろなことが上手くいかないことが続くと、心が干からびてきたり、気持ちがトゲトゲになってきたり、自分を見失いそうになってそんな自分が嫌になったり・・・という経験はないでしょうか?私はあります!

 

 お日さまからのエネルギーも大切ですが、それだけでは本当に枯れてしまいます。土からの栄養や水分がないと植物も育ちません。私の感覚では、今回、紹介する本は心の栄養や水やりになる部分かなぁと思います。

3冊とも詩人の茨木のり子さんの本になります。

『倚りかからず』、『おんなのことば』、『詩のこころを読む』

 

 私は詩には疎いですが、とても前に、たまたまどこかで茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩を目にしたときに、衝撃を受けました。短い言葉なのに、グサッと心に突き刺さる。本当にすごいなと思いました。

途中からの引用です。

 

 

 じぶんの耳目

 じぶんの二本足のみで立っていて 

 なに不都合なことやある

 

 倚りかかるとすれば

 それは

 椅子の背もたれだけ

 

 茨木さんの代表作のひとつ「自分の感受性くらい」。とても厳しい言葉なのに人への温かさを感じる詩です。

 

 

  ぱさぱさに乾いてゆく心を

  ひとのせいにはするな

  みずから水やりを怠っておいて

 

 (略)

 

  駄目なことの一切を

  時代のせいにはするな

  わずかに光る尊厳の放棄

 

  自分の感受性くらい

  自分で守れ

  ばかものよ

 

 この詩を読んで、茨木さんからビシッと叱られている気がしました。でも嫌な気分にはならないです。不思議です。そうだな、結局最後は、自分の感受性は自分でしか守れないなと、はたと気づかせてくれます。ぱさぱさなのも、やっぱり最後は自分でしかどうにもならないなと思いました。

 

 人のせいにしていたな、依りかかるのは椅子くらいだな、自分への水やりを怠っていたな、と気づいて初めて、他者の言葉や助けが生きてくるのではないかな、と思いました。

 

 茨木さんが『詩のこころを読む』の「はじめに」で、「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。」と書かれています。本当にこの通りだなと思います。本を読むことが苦手な人でも、短い詩を一篇、二篇なら読めるのではないかなと思います。分厚い本を読まずとも、その一篇で、こころが救われることもあるだろうと思います。

 

 心を解き放つ詩、茨木さんの詩をもう一篇、一部引用させていただきます。

 

 

 私はどきんとし

 そして深く悟りました

 

 大人になってもどきまぎしたっていいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子供の悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外にむかってひらかれるのこそ難しい

 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・

 

 

 以上です!

 私への自戒も含めて書きましたが、ここまで読んでくださった方のひとりでも、茨木さんの詩に触れて何か感じてくださったなら、とても嬉しいです。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

茨木のり子:自分の感受性くらい


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